ディアトロフ峠事件 ~ 涙も凍る-30℃

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 つい最近まで知られていなかった事件


山岳遭難事故で、死者数が世界最大のものは
1902年、日本の八甲田山における遭難で、
その犠牲者は199人でした。


▲冬の八甲田山


犠牲者全員が軍人であり、健康体の男性でしたが


●冬山経験者はゼロ
●将校の半数は雪国出身でなかった
●雪山の予備知識・情報収集ほぼゼロ


という初心者の準備不足による遭難事故でした

▼立ったまま仮死状態で発見された後藤伍長の銅像




今回語るディアトロフ峠の遭難
全員が冬山登山のエキスパートであり、


同時に全員がトレッキング資格2級を所持し、
学内でも相当なレベルの者でないと入れてもらえない、実力派クラブの構成員でした。



1級の上に2級があり、
2級所持者の彼らはその上の3級を取得するために
あえて難しい冬のウラル山脈に臨んだのです。

赤い矢印の先、
▼南北に走る色の薄いところがウラル山脈


今回そこを踏破できれば3級資格が手に入ります、
すると将来トレッキング指導者の仕事につけるのです。


この世界登山史に残るミステリー、
いったい彼らに何が起こったのでしょうか?


  世界その他の事故と比較


事件はロシアの前身、
旧ソビエトのウラル山脈中部で起きました。


八甲田山の遭難から57年後、
欧米や日本ではロックンロール華やかなりし頃、
ソビエトでは言論統制が雪解けを迎えた
明るいフルシチョフ時代、1959年のことです。


グループのリーダーだった
イーゴリ・ディアトロフ(23)
事件後、彼の名が峠に冠されました▼




今回取り上げるディアトロフ峠の
遭難犠牲者は9人。

トレッキング・登山における
1度の遭難事故での死者数(行方不明含む)


日本

1902年 八甲田山 199人
1913年 木曽駒ケ岳 11人
1963年 薬師岳 13人
1967年 西穂高 11人
1972年 富士山 24人
2009年 トムラウシ 9人
2014年 御嶽山 58人


世界

1934年 ナンガパルバット(パキスタン)9人
1937年 ナンガパルバット(パキスタン)16人
1959年 ディアトロフ峠 (ロシア) 9人
1972年 マナスル(ネパール)16人
1991年 梅里雪山(中国)13人
2008年 K2(インド・パキスタン)11人
2012年 マナスル (ネパール)11人
2014年 エベレスト(ネパール側) 16人
2014年 アンナプルナ(ネパール)43人
2015年 エベレスト(ネパール側)18人
2018年 グルジャ(ネパール)9人




白い3連峰の一番左がグルジャ(ネパール)
写真提供:カモシカクラブ


意外なことにヨーロッパアルプスとアンデス山脈では
トレッキング・登山の大量遭難事故は起きてません。


と言いますか、日本がとても多いです、


日本は毎年300人がトレッキング・登山で亡くなっており
ずっと非常事態宣言が続いています。



この事件は犠牲者数において、
世界の山岳事故で15位タイ。


充分に大きな事故と言えるでしょう。
そして不気味さにおいては他の追随を許しません。



  この事件の何が異状だったのか?


マイナス30℃のさなか…

・各遺体はテントから数百m~1km離れていた

 つまり全員暖かいテントを捨て、わざわざ深夜の雪原へ逃げて行った




衣服の状況は…

・ほぼ全員、靴を履いていない
・下着姿の者もいる
・全員手袋をしていない
・服から放射線が検出された者もいる


テントの状況は…?

・テントの中は整理整頓されていた
・テントの中にブーツがきれいに並んでいた
・テントは内側からナイフで裂かれていた




▲捜査本部で組み立て直したテント実物
 ナイフで内側から裂かれていることが、鑑識の調べで判明した。


その他の異状

・全員の顔がオレンジ色または茶色い
・肋骨骨折者が2名
・頭蓋骨骨折者1名、鼻骨骨折者1名
・眼球がなくなっている者1名
・舌がなくなっている者1名


・木の枝が並べられた場所がある
・裂かれた服も並べられている
・2月に光の球が数分間飛ぶのを目撃した
 …とウラル山脈のトレッカー達が証言



  国内に広がる様々なうわさ


事件発生時の1959年はさまざまな伝説がソビエト国内に広がりました。


●脱走した囚人に襲われた説


●薬物・アルコール説


●口封じ説

 ウラル山脈は核施設や秘密兵器の実験場があり
 9人は見てはいけない機密を見たために、口封じとして殺された説。

 軍のしわざと思われぬよう、軍が遺体や現場にわざと不可解な細工をした説。



 
●猛獣襲来説

 トラ・熊・大型のワシ、その他


●原住民襲撃説

 ウラル山脈の中~北部にはマンシ族という原住民が暮らしています、
 そのマンシ族の聖地を荒らした怒りで、9人は殺された…という説。
 

●カルト教団のいけにえ儀式説


●宇宙人やUFO襲来説、
 雪男イェティ襲来説など
 なんでもありの都市伝説が流れました。


▲雪男:イエティ

  迷宮入りとなるがその53年後・・・


犠牲者は9人、もっと多くの犠牲者を出した遭難は世界各地にありますが、
内容の奇怪さではこの事故が突出しています。


その割にロシア以外の国ではあまり知られていません、
事故当時、ソビエトの検察は3か月に渡り、事故原因を徹底的に調べましたが


最後まで原因が分からず、
「未知の不可抗力による死亡」…と結論付けられました。




それ以降ロシアでは民間人も科学者も、だれもこの事件を解き明かすことができず
53年間 迷宮入りとなっていましたが…

「そうは問屋が卸さない」と1人の男が現れます。


それはアメリカの映画TV監督ドニー・アイカー。




彼は仕事のあと毎夜パソコンにかじりつき、
「世界に不思議な事件はないものか」
とネットサーフィンしていたところ、この事件を見つけました


内容の不可解さにとりつかれた彼は、それ以降、この事件が頭から離れません


そしてネットで調べているうち、

外国人で、真冬に現地調査した人が居ない

~ことを知ります。


現地に行き、実際に9人がたどった道を歩いて、真実を知ろう…


彼は貯金をすべて使い、カードも限度いっぱい借り、
2012年と13年、ロシアに乗り込んで取材しました。



そしてなんと、このグループで1人だけ、生き残っている者が居たのです。


その名はユーリ・ユーディン、

実はこのグループ、10人で出発していたのです。

当時21歳のユーリは、持病の腰痛が勃発し、トレッキングの途中で泣き泣き、故郷に帰っていました。




彼は70歳代なかば、ロシアで暮らしている、生き証人が1人、まだ生きていた。


ドニー・アイカーは2012年ロシアに飛び、
事件直前まで9人と一緒にいたユーリ・ユーディンから
詳しく事件直前の仲間のようすを聞きます。


▼ユーディンとアイカー



それ以外にもアイカーのもとに集まってくれた多くのロシア人から話を聞き、
そしてアイカーは自らも冬の現場に足を運び、実地調査します。


アイカーは

●インタビューしたメモ
●撮影した写真
●頂いた1959年当時の現場写真

を携え、アメリカに帰ってから
様々な大学・研究所を訪れ、精力的に解析を進めます。


  一つ一つの解決


前述しました伝説は
アイカーがロシア滞在中と帰国後、地道に解決されてゆきました。


◊ 脱走した囚人に襲われた説
   ↓
 その年も前年度も、
 ソビエト国内では 囚人の脱走は起こっておらず
 しかも現場から一番近い刑務所でも80km離れている。


◊ 薬物・アルコール説

 全員の臓器や血液を司法解剖しましたが
 薬物も酒も一切検出されませんでした。


◊ 口封じ説
  
 ウラル山脈は核施設や秘密兵器の実験場があり、9人は見てはいけない機密を見たために、口封じとして殺された説、 




 確かに毎年ウラル山脈でそんな実験もされていたが
   ↓
 核施設や兵器実験場は現場から百km以上離れており、そんな物を目撃すること自体が不可能。
   ↓
 特に核施設は彼らの出発地だった大都市スベルドロフスクよりも、逆方向に行かねば存在しない。
 (事故現場から約200km離れている)



◊ 放射線同位体

 1人の下着やジャンパーから
 基準値超えの放射線同位体カリウム40を検出。
   ↓
 しかし衣服から検出された量は、
 一般人が普通に浴びる平均量の2倍に過ぎず、「異常」と呼べるのは70~80倍を超えてからです。


◊ 猛獣襲来説

 熊やその他野生の動物に襲われた…という説ですが、遺体は噛まれた跡も引っ掛かれた跡もなく、それ以前に、この9人以外の足跡はない



◊ 原住民マンシ族の襲撃説

 ウラル山脈周辺に暮らすマンシ族が、聖地を荒らされたと怒って襲撃した説。
   ↓
 マンシ族は温和・友好的な性格で、
 しかも捜査過程で多くの人材を派遣してくれたり、捜査員に宿を提供してくれたりと、最初っから捜査に協力的。
   ↓
 ダメ押しとして、現場周辺100km以内に、マンシ族の聖地は一つもない。
 繰り返せば、現場に9人以外の足跡はない。




◊ 全員の顔がオレンジ色または茶色い
  
 死亡から発見に至るまで2週間~3か月かかった。

 その間、雪の照射で紫外線をたくさん浴び、顔がオレンジ色や茶色くなるのは当たり前。
 ヒマラヤ登山者を見よう、みんな茶色い。


◊ カルト教団のいけにえ儀式説

 眼球がなくなっている男子1名、
 舌がなくなっている女子1名。
 カルト教団に捕まっていけにえの儀式とされた説。



 真冬、こんなへき地の雪原にどこの教団が来るのか?

 目がなくなっていたのは、仰向けの男子の遺体で、死亡後、猛禽類に食われた可能性が高い。

 舌がない女子の遺体は泥水の中で発見された。
 死亡後、泥水のバクテリアによって、体の中で一番柔らかい舌の分子分解が進んだとみられる。


◊ 光る球

 ウラル山脈周辺で浮遊する光球を
 数分間見た…という様々な説。
   ↓
 その目撃談は2月中旬以降であり、
 9人が死亡した2月1日とは かけ離れている。



◊ 遺体に見られる骨折
   ↓
 死亡時刻当時は月が出る4時間前であり、現場周辺は漆黒の闇だった、


 あなたは本当の闇を見たことありますか? 小鹿は田舎育ちだったので経験あります。


 街灯もなく曇った夜は、
 月も星も見えずに 外は全くの闇になり、足元に何があるのかも分かりません。

▼これが僻地の夜の闇です


ね、なにも見えないでしょ。


 9人が何かから逃走途中、岩に足を取られたり
 障害物にぶつかるのは当然のこと。
   ↓
 特に頭蓋骨折者、肋骨骨折者は
 高さ7m崖下の岩場で発見されており、
 交通事故並みの負傷を負うのが当然です。



◊ 1km離れた崖下に裂かれた衣服、
 そして並べられたモミの木・カバノキの枝

   ↓
 崖から落ちて骨折し、動けない友人達を温めようと、重傷しなかった1人が焚火をするために枝を集めた。
   ↓
 裂かれた衣類は、すでに死亡した友人から衣服を脱がせ、それを裂いて燃料とし、まだ生きている骨折者を救おうと、必死に奮闘した痕跡だった。



  超低周波による不可聴音


ドニー・アイカーは元サーファーでした。
波乗りの季節には地元フロリダの気象に関心を持ち、沖合の気象現象を調べる習慣がありました。



そうした10代・20代のころの記憶をたどり、気象関連の記事も調べると、
その中でひとつの兵器の欄に突き当たりました。

超低周波不可聴音兵器


アイカーは回想しています。
最も可能性が高いというより、
   ↓

最も不可能性が低い答えはやはり、
なんらかの自然現象にあるのではないか?



ネットで調べてみると、
超低周波は人間の耳には聴こえませんが…


◊ 吐き気
◊ 恐怖感
◊ 内臓のけいれん
◊ 内臓へのダメージ
◊ 激しい頭痛
◊ その場から逃げたい感情
◊ 自殺願望

~を呼び込む、



そして周波数が可聴音に近づいた場合のみ、
   ↓
◊ ジェット戦闘機に似た轟音
◊ 貨物列車のような轟音

~が聴こえるなど、

精神の大きな乱れを誘発したり、
命そのものが危険になることも判明しました。



  奇妙なブーツ岩


9人のテントから1.2㎞離れた場所に、ブーツ岩という目印があります。


木々も何もない原野にポツンと1つだけある目印は
見事にブーツの形をしており、事件の不気味さに拍車をかけます。




この奇妙な形状のブーツ岩、
これが超低周波を発生させているのではないか?


ロシアにも2ちゃんねるみたいな掲示板があり、自称・超常現象研究家の間では、そんな話題も沸騰していました。



しかしアイカーが相談したアメリカのどの科学者も、ブーツ岩の関与を否定します。


この岩の形状からして何かを秘めている…
と思いたくなるのは分かりますが、この岩は無害です。

~と一蹴されました。



そしてアイカーは科学者から決定的なことを聞かされます。


「超低周波不可聴音を発生させるには
 丸みのある非常に緩やかな形状で
 なるべく左右対称が理想の形です」


科学者はアイカーから提供された一枚の写真に
目が釘付けとなります。

 「これだ!」


▲当時のホラチャフリ山
彼らはここのふもとにテントを張った。

  カルマン渦列


\(
f_v=St\frac{U}{B}
\)

\(
f_v=渦周波数\\
St=物体形状定数(円形は0.21)\\
U=流れの速度\\
B=物体の幅\\
\)

▼南米チリの島の下流に現れたカルマン渦


▲写真提供:私の愛するカルマン渦


直角に置かれた円筒物体の
後方に発生したカルマン渦▼

▲写真提供:コトバンク、カルマンの渦列


2015年1月、済州島を起点として
現れたカルマン渦列▼


こうしたカルマン渦列がピークに達したとき、低周波や超低周波が発生するのです。


超低周波のほとんどは人間には聴こえません、しかし、超低周波の危険性はそこにあるのです。

耳には聴こえていない、
しかし脳には大音量が送られている。


そのことが体と精神に大きな異状をきたします。


下のグラフをご覧ください、
一番下、横にならぶ数字は「ヘルツ」です。
20ヘルツ以下、ピンクの範囲が超低周波。


そして、縦軸をご覧ください、dbという目盛り。
db=デシベル(音の大きさ)です。


耳に聞こえない超低周波ほど、高いデシベルなのが分かりますね。


会話の声・・・・・ 60 db
掃除機の音・・・・ 70 db
地下鉄の音・・・・ 80 db
怒鳴り声・・・・・ 90 db
工事現場のそば・・ 95db
改造マフラー爆音・ 100db
ヘリコプター付近・ 110db

耳では聴こえていないのに、
脳は90dbや100db超の大音量・振動を受取る


もちろん体内にもその強い振動は送られます。


超低周波は非常に強く細かな振動を生み
130dbあたりで内耳へのダメージが始まります。
140db..で内臓はけいれんし始め、
150dbあたりから内臓の損傷が始まります。



160db..170db..180db…と続けてゆけば、
超低周波により、細胞組織は細かくそして強く揺すぶられて崩壊し、
   ↓
脳や内臓はゼリー状になってゆくのです。



すでにテントの中で彼らは、我慢できない内耳・脳・内臓の痛みに苦しんでいたでしょう。
ここに居ては死んでしまう…と悟った。


そして9人はテントを捨て、-30℃の荒野に逃げ出した。
…1秒を争います、だからほぼ全員が
  ↓
◆ 軽装で
◆ 手袋なし
◆ ブーツなし
◆ ズボンなし

~だったのです。


当時は「超低周波」という概念は知られていませんでした。
バリバリの理系である工科大学の彼らでさえ「超低周波」は知らない時代だったのです。


9人は何が何だか分からなかったでしょう、
すでにテント内の彼らの内臓や脳は損傷が始まっており、耐え難い痛みに苦しんでいたと思います。
このままテントに留まれば死ぬ…と察知し、ブーツを履かず、ジャンパーも着ずに逃げ出した。



テントは内側からナイフで裂かれていたのは、
-30℃の冷気でテントのジッパーが凍っており、外に出られなかったから。
~いかにパニック状態だったかを物語っています。


いずれにせよ、一番張ってはいけない場所へ、テントを張ってしまったわけです。


▲冬のホラチャフリ山
ドーム型の山容、角のないなだらかな形状、周囲に何も邪魔するものがない。
これこそがカルマン渦列と超低周波を生むに、うってつけだったのです。

▼春のホラチャフリ山

  現代建築に活かされる低周波の知識


それから20年以上たった1980年代には
超低周波による公害が広く知られるようになり、
超低周波を発生しやすい円柱型や丸みの著しいビルは避けられ、
わざと複雑なデザインのビルが増えました。



  最後まで友人達を助けようとした男子1名


この惨劇の山で、最後まで生きていたのは、アレキサンドル・コレバトフ(24)でしょう。
現場に残された状況から、彼の足取り・行動が明かされています。


9人のうち6人が大学OBでしたが、かれもその一人でした。



唯一重傷を負っていないコレバトフは、最後まで奔走しました。


彼は同行していた、サーシャ、コーリャ、リュダを救おうと奔走します、


▲左からリュダ、ゲオルギー、コーリャ、ルスティク
 事件4日前の写真


▲サーシャとジーナ
 事件3~4日前と思われる
 ジーナはディアトロフ達と逃げた模様。


コレバトフは周囲のカバノキやモミの木で寝床をつくり、重傷の3人、サーシャ、リュダ、コーリャをそこに寝かせました。


▲日本にも生えているカバノキ

しかしカバノキとモミの木は湿気が多く、
火がつかずに焚火はできませんでした。


そしてやや遠くに小さな灯りが見えます



仲間だ!重傷の3人を助けてくれるかも知れない。


コレバトフは灯りの方向に150m歩きました。
現場にたどり着くと、焚火の痕跡があり、ヒマラヤ杉の枝がくすぶっていましたが、すでに消えかけています。


▲ドロシェンコ

そこにはゲオルギーとドロシェンコが倒れており、すでに息をしていませんでした。
低体温症で眠りに入り、そのまま亡くなったのです。



2人の友人が死んでいることはショックでしたが
何としても崖下に残した3人を助けなければ、…と自分に言い聞かせます。


彼はゲオルギーとドロシェンコの遺体から濡れていない衣服をナイフで切り取り、
ズタズタになったセーターとズボンを持って、サーシャ・コーリャ・リュダの居る崖下へ戻りました。


でも頭を強打していたコーリャは脳内出血で死んでいました。



最年少の女子、リュダの足にセーターを巻きましたが、
胸の重傷と低体温症でリュダは息を引き取りました。


息をしていたのはサーシャだけになり、彼だけでも救おうと、背負って森の中へ進みます、
森の中のほうが気温が少し高いからです、高いといってもマイナス20℃台ですが・・。


▲左がコーリャ、右がサーシャ

でもコレバトフは疲労と凍えたせいで、サーシャを背負ったまま、雪の中に倒れこみ
抱きあいながらこの世を去ってゆきました。


この雪山遭難史上、最大の謎と言われた事件、実は自然現象が原因だったのです。


状況を変えられない絶望の中、
寒さ・恐怖・疲労の中、友人を救おうとしたコレバトフ。


悲しかったでしょう、苦しかったことでしょう、
涙を流しながら奔走していたと思います。


暖かい部屋でこの記事を読んでいる私たちには
あまりにも極限だった彼の気持ちを察するのは難しいですが



-30℃の暗闇の雪原、死力を振り絞ってわが身を忘れ、救助に奮闘した若者が
あのとき、あの山に居たことを忘れたくないと思います。


今回は異例の長文となりました
お付き合い頂きありがとう御座いました。

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