8,000m峰はいくつあるの?

スポンサーリンク




 大洪水が原因で造られたヒマラヤ


なぜ古代の海に棲んでいた貝の化石がヒマラヤ8,000m峰から見つかっているのか?

ヒマラヤだけではありません、ヨーロッパアルプスからも数多く出土しています。


この事実は14世紀ヨーロッパで、すでに問題となっていました。


  地殻変動



ヨーロッパアルプスにある貝殻化石の謎は、15世紀には解明され始めました。



海水がそこまであったのではなく、地面が動いたため、貝殻も自動的にここまで運ばれたのだと…。


今から約6,400年前、巨大隕石が地球に衝突した事は創造論科学者たちも認めるところです。

巨大隕石によって上空には大量のチリが漂い、何日も太陽光を遮るほどでした。



昼間でも夕方のように暗い日が続き、当然上空は冷却されていった。


今でも地球の上空80km~800kmには「熱圏」という層があり、そこは摂氏150℃以上の世界です。
最高で1,000℃近い層もあります。


大気の層は想像以上に複雑に構成されてます、
「km」は地面からの距離を指します。
   ▼


巨大隕石衝突以前の4,600年前は、大量の水が、熱圏で水蒸気として、非常に安定した形で存在していました。

その温度では水は液体ではなく、気体として安定します。



しかしある日、隕石が地球に衝突

   ↓
衝撃波で大量のチリが上空を漂う
   ↓
太陽光が遮られて熱圏が冷却される
   ↓
そこに存在していた大量の水蒸気が液体に戻る
   ↓
上空を覆っていた水蒸気層は冷却され大雨となる
   ↓
大洪水の発生、地球全土が水没しました。


  ノアの大洪水


創世記第1章7節にこうあります
   ↓
神は大空を造り、
その下の水と上の水とを分けられた。


そして創世記第7章11節にこうあります
   ↓
大きな深淵の源がことごとく割れ、天の水門が開かれた


深淵 = 水の深い場所・深海
天の水門 = 上空の水蒸気層


こうして地質学的にもはっきり証拠が残る
「地球全土を埋め尽くす大洪水」が起こったわけですね。


  海底が割れ地下水が海に流れ込む


▼海底に残る割れ目をご覧ください

▲山脈のように見えますが、
 これは一度開いて閉じた跡です。


海底が開き、地下水が海に流れ込んだのです。
ではなぜ海底の地盤が割れたのか?
   ↓
隕石衝突で大空に巻き上げられた大量のチリが太陽光をさえぎった事で、熱圏の水蒸気層が冷やされる。
   ↓
水蒸気が大量の液体に変わり地球規模の大雨となる、
それは40日間、降り続きました。



   ↓
海水が大幅に増し、その圧力で海底の地盤が割れてしまった。
   ↓
海底の割れ目から地下水が湧き出し、更に海水が増した。


~というプロセスです。



また、大洪水で海の水量が増えた結果、
   ↓
海底の地殻の中でも、
ゆるい地殻は水圧に負け大きく凹みます。


凹んだ地殻は、隣の地殻を押して負担をかけます。



隣の地殻は、横や縦に逃げてバランスを取るしかありません。


流動しているマントル層がそれを手伝います。



マントル層は普段横に動いてますから、
地殻は押し上げられるだけでなく、横にも動かされ、当然他の地殻とぶつかります。


ぶつかり合った地殻は、逃げ場がなくなり、上へ上へと盛り上がります。
それがいわゆる造山運動です。


◆ ヒマラヤ山脈
◆ アンデス山脈
◆ ヨーロッパアルプス
◆ カラコルム山脈


~などですね。もちろん他にも沢山あります。


 
小鹿は標高800mほどの田舎で育ちました。
夏は比較的涼しく7~8月、最高気温は
日によりバラつきがあり、27℃~34℃。


ドラマやアニメに出てくるような
田んぼがある平坦な田舎じゃなく、


ヨーロッパアルプスのミニチュア版みたいな
急峻な土地でした。


  • そんな地形のせいで
  • また鉄道もない本物の田舎なので

  • 大変、暮らしにくい所でした。
    田舎暮らしに憧れている人に一言伝えます。

    田舎に移住するなら、
    必ず鉄道がある所を選んで下さい。不便の極みで子供たちに迷惑をかけます。

    鉄道がないと、想像以上に生きるのが厳しいですよ。



    冬はクリスマス前から小雪が降りますが、
    積もるのは1月半ばからでした。


    今回中心に取り上げるのは、8,000m峰です。
    小鹿の田舎の、10倍の標高ですから、
    もう想像を絶します。


    エベレストとローツェ▼



    ▲見るからに居住は無理ですね。

      8,000m 14座


    なんと14座もあり、
    そのすべてが2つの山脈に集中しています。


     

    ヒマラヤ山脈


    山名・標高・標高順位・初登頂隊

    ◆エベレスト8848m・1位・イギリス隊
    ◆カンチェンジュンガ :8586m・3位・イギリス隊
    ◆ローツェ8516m・4位・スイス隊
    ◆マカルー8481m・5位・フランス隊 
    ◆チョオユー8201m・6位・オーストリア隊
    ◆ダウラギリ8167m・7位・スイス隊
    ◆マナスル8163m・8位・日本隊
    ◆アンナプルナⅠ峰8091m・10位・フランス隊
    ◆シシャパンマ8027m・14位・中国隊


    マナスルの日本隊ってところが嬉しいですね。

    カラコルム山脈


    ◆K2 8611m・2位・イタリア隊
    ◆ナンガパルバット8126m・9位・ドイツ・オーストリア隊
    ◆ガッシャープルムⅠ峰8080m・11位・アメリカ隊
    ◆ブロードピーク 8051m・12位・オーストリア隊
    ◆ガッシャープルムⅡ峰8034m・13位・オーストリア隊


    ~です。



    ヒマラヤ、カラコルム両方合わせて、
    標高順位を分かりやすく並べると…

    1位:エベレスト8848m
    2位:K2 8611m
    3位:カンチェンジュンガ8586m
    4位:ローツェ 8516m
    5位:マカルー 8481m
    6位:チョオユー8201m
    7位:ダウラギリ8167m
    8位:マナスル 8163m
    9位:ナンガパルバット8126m
    10位:アンナプルナⅠ峰8091m
    11位:ガッシャープルムⅠ峰8080m
    12位:ブロードピーク8051m
    13位:ガッシャープルムⅡ峰8034m
    14位:シシャパンマ8027m

     ~です。

      高い順に14座を紹介

    ◆ 標高第1位
     エベレスト(チョモランマ)




      標高:8848m
      チベット・ネパール
      ヒマラヤ山脈
      登頂者数に対する死者率:3.9%
      初登頂:(1953)
      エドモンド・ヒラリー(英)
      テンジン・ノルゲイ(ネパール)
      入山料:春110~120万円、秋55~65万円、夏冬27~30万円

    ▲ヒラリー


    ▲ノルゲイ

    昔に比べ半額以下に値下げしましたが、
    その代わり団体割引は2015年に撤廃されています。

    人数ごまかし不正が後を絶たないからです。
    インチキな輩はどの世界にも居るんですね。



    ちなみにエベレストは、
    一番近い村まで15kmという良い立地です。

    その上、山腹である標高5160mに、
    レストランや宿があるミニ集落も存在し、事実上、山体に人が居住しています。驚きですね。


    ▲ミニ集落:ゴラクシェップ

    そんなエベレストですが、
    登頂を目指す場合、登山者1人につきシェルパを1人付けることが義務付けられており、
    シェルパ1人につき40万円は必要です。


    急峻な地形、そして7,000mを超えた地点からは真夏でも最高気温-25℃以下のため、

    ◆ 手袋
    ◆ 上着
    ◆ 下着
    ◆ ブーツ
    ◆ ザイル
    ◆ ゴーグル
    ◆ アイゼン
    ◆ 酸素ボンベとマスク
    ◆ ピッケル
    ◆ テントと寝袋
    ◆ その他多くの道具
    ◆ 1人につきシェルパ1名

    ~はそれ相応の物を揃えないとケガや凍傷になります。
    上記の購入費用と入山料合わせ、最低500万円は必要です。



    ヒマラヤ・カラコルムでは、
    開拓期の1950年代は国家の威信をかけていたため、国が費用を出してくれましたが、
    今では、どの国も公費は出してくれません、


    勇気・体力・経験に合わせ、
    裕福でないと登頂できないのがエベレストです。

    ◆ 標高第2位
     K2 (カラコルム測量番号2号)




      標高:8611m
      ウイグル・パキスタン
      カラコルム山脈
      登頂者数に対する死者率:26.4%
      初登頂(1954)
      リーノ・ラチェデッリ(伊)
      アキッレ・コンパニョーニ(伊)
      入山料:7人まで78万円 以降1人につき13万円
     
      
    愛称
    ・ブラックマウンテン
    ・ゴッドウィン・オースティン

    ▼左:リーノ・ラチェデッリ
     右:アキーレ・コンパニョーニ


    8,000m14座の中で、
    唯一、冬季登頂されてない山です。


    死亡率第一位のアンナプルナよりも、
    実際にはこのK2の方が難しいと言われています。



    理由は大きく分けて2つあり…

    理由:1
    8,000m14座の中で最も人里離れた場所に位置し、一番近い民家から80km離れています。
    ベースキャンプから登頂アタックまで2ヶ月必要。


    そのため、2ヶ月分の食糧と水、堅牢なコンロが必須なのはもちろん、
    衣類、テント、そり、医薬品、電池、食事を作るための2ヶ月分の燃料、多くの登山工具も運ばなければならず、出発時のトータル重量は一人あたり100kg超。


    理由:2
    気温はエベレストよりも10℃低い。
    風も強く、雪崩が多い、巨大な氷が人に向かって滑落してくることが度々あります。
     

    ▲リーノとアキーレ

    ◆ 標高第3位
     カンチェンジュンガ



      標高:8586m
      ネパール・インド
      ヒマラヤ山脈
      登頂者に対する死者率:16.5%
      初登頂:(1955)
      チャールズ・エヴァンス隊の
      ジョージ・バンドとジョー・ブラウン(英)
      入山料:春20万円、秋10万円、夏冬5万円

    ▼ジョージ・バンド 


    ▼ジョー・ブラウン


    ▼カンチェンジュンガの位置
     ネパール・チベット・インドダージリン地方の3国境付近にあります。

    標高世界3位でありながら、登山家以外、あまり知られてない山です。


    このクラスの山になると、装備もエベレスト以上の極地タイプが必要で
       ↓
    ・ブーツは -73℃以下対応のもの、6万円以上。
     (-40℃対応のものじゃ、ぜんぜんダメです)
    ・手袋もインナー・アウター合わせ5万円以上のもの
    ・シュラフ(寝袋)はマミー型の7万円クラスのもの

    ~でないと夏でも凍傷の恐れがあります。

    ◆ 標高第4位
     ローツェ



      標高:8516m
      ネパール・チベット
      ヒマラヤ山脈
      登頂者に対する死者率:2.8%
      初登頂:(1956) スイス隊
      入山料:春20万円、秋10万円、夏冬5万円
      
    ローツェはエベレストと峰つながりの為、
    「ローツェに登るついでにエベレストにも行くインチキ」が可能なので、
    もしかするとネパール政府派遣の監視員代25万円プラスかも知れません。


    ローツェはチベット語で「南の峰」という意味で、実際にエベレスト南隣にあります。

    ▼左:エルンスト・ライス
     右:フリッツ・ルフジンガー


    サウスコルと呼ばれる標高7900mの尾根がエベレストとつながっており、
    エベレスト画像の多くはローツェとセットで写っています。


    左がエベレスト 右がローツェ▼

    このサウスコルから酸素ボンベを使います。
    頂上同士、3kmしか離れていません。


    ▼真ん中やや右の尾根から、
     下に走る広い窪みがサウスコル

    左:エベレスト 右:ローツェ

    ◆ 標高第5位
     マカルー



      標高:8481m
      ネパール・チベット
      ヒマラヤ山脈
      登頂者に対する死者率:8.5%
      初登頂:(1955) フランス隊
      ジャン・クジー、リオネル・テレイ他7人
      入山料:春20万円、秋10万円、夏冬5万円


    ▲ジャン・クジー


    ▲リオネル・テレイ

    ヴィジュアル的に最も目立つ西壁。
    この肝心な部分がまだ未踏破で、ヒマラヤ最大の問題と言われています。


    ▲夏の西壁 
    マカルーはエベレストの西21kmにあります。




    1991年、日本隊が登頂に成功した後、下山時に嵐に遭い、1名が凍死、1名は凍傷で手の指先10本と足の指8本を切断という事故に遭いました。
    ヒマラヤ、カラコルム両山脈は、いずれも下山時に遭難することが多いです。


    マカルー西壁は垂直以上のオーバーハング(壁の上の方がかぶさっている部分)が何か所もあり、多くの敗退者を出しています。

    ▲マカルーのオーバーハング

    ◆ 標高第6位
     チョオユー



      標高:8201m
      ネパール・チベット
      ヒマラヤ山脈
      登頂者に対する死者率:1.4%
      初登頂:(1954) オーストリア隊
      H・ティッヒー、S・ヨヒラー、パサン・ダワ・ラマ
      入山料:春20万円、秋10万円、夏冬5万円

    8,000m14座中、最も安全な山のため
    旅行会社の登頂ツアーも盛んで、
    5週間分のガイド代・航空機代・宿代・食事代・登山道具一式・荷を運ぶヤク代・トラック代込みで300万円位が多い。


    一生の思い出づくりと思えば安いかも。

    ▼オーストリア隊


    ▲右からP・ラマ、H・ティッヒー、Sヨヒラー


    エベレストの西16kmにあります。


    チョオユーではアタックベースキャンプ(5,700m)までヤクが荷物を運んでくれて、ラクラク登山です。
    でも、なんかヤクが可哀想にみえます(^ ^;)




    しんどそうです、複雑な気持ちになってきました。
    しかしこういう光景もチョオユー登山の人気の秘訣なんでしょうね。

    ◆ 標高第7位
     ダウラギリ

      標高:8167m
      ネパール・チベット
      ヒマラヤ山脈
      登頂者に対する死者率:15.4%
      初登頂:(1960) スイス・オーストリア隊
      入山料:春20万円、秋10万円、夏冬5万円



    名前からして怖そうですね。
    でも現在ネパールでは皆「ドーラギリ」と発音します。


    ▲スイス・オーストリア隊

    雪崩の多い山で、1969年のアメリカ隊7人死亡、
    日本隊も1975年5人死亡、1978年4人死亡、2010年4人死亡など、遭難の多い人食い山です。


    ▼雲海の下に現れたダウラギリ
    8,000m峰ってホントすごいですね。



    元々は「ダバラギリ」と呼ばれてましたが、それはサンスクリット語(ネパールとインド公用語の一つ)で「白い山頂」を意味します。
     

    ◆ 標高第8位
     マナスル 



      標高:8163m
      ネパール・チベット
      ヒマラヤ山脈
      登頂者に対する死者率:9.8%
      初登頂:(1956) 日本隊
      入山料:春20万円、秋10万円、夏冬5万円


    鋭利に尖った山頂が特徴的。
    マナスルの初登頂はなんと日本隊です。


    チームの登頂アタックパーティ4人全員が登頂を終え、下山を始めた途端、モンスーンの猛嵐が頂上部のみに吹き荒れる…という幸運に恵まれました。


    ▲ネパールと日本の国旗を掲げる今西隊員

    日本隊が登頂する5年前からイギリスが偵察を終え、イギリスをはじめヨーロッパ各国が入り乱れ、登頂計画がスタートしました。


    1953年春、大急ぎでプランを進めた日本隊が世界に先立ち登頂アタックします。
    しかし登頂まであと380mというところで悪天候となり、泣く泣く下山します。



    1954年春、二度目の挑戦でふもとの村に入ったところ、現地民が日本隊のところへ押しかけ、武器を手に入山を妨害しました。


    その理由は…
    昨年、日本隊が聖地を汚したため、村に呪いが訪れた…というものです。



    ◆ 雪崩で寺院がつぶされ、尼僧が大勢亡くなった
    ◆ 疫病が流行り、村人が大勢亡くなった


    日本隊は村人の怒りを前に、こうした宗教的な理由で引き返さざるを得ませんでした。
    1953年の失敗を元に、色々研究し準備万端で臨んだだけに非常に残念な撤退でした。



    1956年、祈祷をおこない何度か交渉し、ようやく現地民の了承をもらいました、
    荷物の総重量は15tを超え、万全の態勢でスタートします。

    日本隊:ふもとの村で▼


    今回失敗したら、日本隊の次を狙っている外国隊に登頂されてしまいます。
    背水の陣で臨んだ3回目は2月にネパールに入りました。


    そしていよいよ5月9日、2人の日本隊員:今西とガルテンは頂上まで320mという最終キャンプまで登り詰めます。



    2人はそこから4時間半かけて320mの崖を踏破、とうとう頂上にたどり着きました。
    その2日後の5月11日、別の隊員:茂田と加藤も登頂に成功しました。


    このようにマナスルは、日本人にとって大変ゆかりのある山なのです。


    地元では「日本人の山」の愛称もあります。

    ◆ ナンガパルバット
     標高第9位



      標高:8126m
      パキスタン
      カラコルム山脈
      登頂者に対する死者率:20.3%
      初登頂:(1953) ドイツ・オーストリア隊
      入山料:7人まで58万円 以降1人につき10万円


    ▲ヘルマン・ブール

    初挑戦で死亡(イギリス隊)…という最初からいわくつきの山で、現在でもしばしば事故が起きている人食い山です。



    1953年、スイス・オーストリア隊が登頂アタック時、モンスーン襲来のため軍からの無線で下山命令が出たにもかかわらず、
    1人だけそれを拒否して登頂したのがオーストリアの隊員:ヘルマン・ブールでした。



    しかしその命知らずな行動力が災いし、
    4年後、同じカラコルム山脈のチョゴリザ登山時に滑落し、永眠しました。(享年32)

    ◆ アンナプルナⅠ峰
     標高第10位



      標高:8091m
      ネパール
      ヒマラヤ山脈
      登頂者に対する死者率:31.9%
      初登頂:(1950) フランス隊
      M・エルゾーグ、L・ラシュナル
      入山料:春20万円、秋10万円、夏冬5万円

    人類で初めてナイロンなど化学繊維の下着が試され、その安全性が立証された登頂です。


    この登頂以降、水分を蓄え冷えやすい綿100%でなく、汗や水分を放出しやすく保温性も高い化学繊維の下着を使用する登山家が増えました。


    ▲モーリス・エルゾーグ


    ▲ルイ・ラシュナル

    2人合わせて手と足の指30本を凍傷で切断しました。
    全登頂者に対する死者率が最も高い山です。


    最大の敵は南壁の大規模な雪崩です
    ▼ アンナプルナ名物:大雪崩

     
    一方、北壁は岩や氷の滑落が頻繁にあります▼

    画像提供:【観光】ネパール・アンナプルナの絶景トレッキング

    8,000m峰14座のうち、一番最初に登頂された山…と言われています。


    がしかし、登頂の証拠として撮影された写真は5種類あるのですが
    どれも斜面で撮影したものばかりで、私は頂上の写真を見たことがなく「?」の嵐です。



    普通、一番乗りの登頂者は登頂の証拠として、次の登頂者にもハッキリ分かるよう、
    てっぺんに石を積んだり、ピッケルや金属棒を差し込んだりなど、目印をつけるものです。


    でものちの登頂者たちは
    「その痕跡を見つけられなかった」との事です


      ・・・あれれ?…(^ ^;)

    ◆ ガッシャーブルムⅠ峰
     標高第11位

      標高:8080m
      ウイグル・パキスタン
      カラコルム山脈
      登頂者に対する死者率:8.7%
      初登頂:(1958) アメリカ隊
      入山料:7人まで58万円 以降1人につき10万円


    ピーター・シェーニング▼

    ガッシャーブルムⅡ峰とⅢ峰に隠れて普段は山容が見えず、ヒドゥンピーク(隠れた頂)と呼ばれています。

    8,000m 14座の中で最も人気がなく、難易度も高いため、アタックするチームが少なく、よほどの熟練者しか登らないので、比較的死者数が少ない山です。

    ◆ ブロードピーク
     標高第12位



      標高:8051m
      ウイグル・パキスタン
      カラコルム山脈
      登頂者に対する死者率:5.2%
      初登頂:(1957) オーストリア隊
      入山料:7人まで58万円 以降1人につき10万円



    頂上の幅が1.5kmもあることから、この名が付けられました。
    いかしもっとカラコルム山脈らしい命名をして欲しかったです;^ω^)


    ▲クルト・テュームベルガー
     1957年、初登頂の写真

    ◆ ガッシャーブルムⅡ峰
     標高第13位


      標高:8035m
      ウイグル・パキスタン
      カラコルム山脈
      登頂者に対する死者率:2.3%
      初登頂:(1956) オーストリア隊
      入山料:7人まで58万円 以降1人につき10万円

    オーストリア隊のフリッツ・モラベック、ヨーゼフ・ラルヒ、ヨハン・ヴィーレンパルト


    このようにきれいな三角形が特徴です。
    ヒマラヤより10℃ほど気温の低いカラコルム山脈にあります。


    すっぽりと雪をかぶってますね (。◕‿‿◕。)

    ◆ シシャパンマ
     標高第14位



    標高:8027m
    チベット
    ヒマラヤ山脈
    登頂者に対する死者率:8.3%
    初登頂:(1964) 中国隊10名
    入山料:不明



    8,000m峰14座の中で唯一、完全にチベット領内にある山であると同時に、最後に登頂された山です。
    日本人登山家の野口健さんが昔、酸素ボンベ切れになり、九死に一生を得て生還した山でもあります。


    主峰は8027mですが間違って隣の8008mに登頂する登山家が後を絶ちません。
    副峰のほうが威厳ある形のため、間違いやすいそうです。


    ▼頂上付近の中国隊(1964)


    以上、8,000m 14座の紹介を終わります。
    ありがとう御座いました(o*。_。)o

    スポンサーリンク

    シェアする

    • このエントリーをはてなブックマークに追加

    フォローする